国枝慎吾が国民栄誉賞で春の園遊会に招待年収は?妻は大学の同級生?

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こんにちは!とりたろうです。

今年1月に車椅子テニス世界ランキング1位のまま引退した国枝慎吾さん。3月には国民栄誉賞受賞のニュースが報道されました。

そして4年ぶりに皇居で行われた春の園遊会に招待されて、両陛下と懇談されている嬉しそうな姿が映し出されていました。

出典:https://www3.nhk.or.jp/

今年の園遊会はあいにくの雨の中で行われました。

天皇陛下が「本当に車いすテニス、それからパラスポーツの発展に大変なご尽力をなさって」とお言葉をかけられると、国枝さんは

「東京パラリンピックが集大成であると思って臨んで、そこで自分の金メダル、車いすテニスの魅力とかをテレビを通して伝えることができたなと、それでだいぶ使命を終えたなという気持ちでいて、昨年、ウィンブルドンで優勝できたので、十分完結したところで引退しました」などと話しました。
引用元:https://www3.nhk.or.jp

今回は車いすテニスですべての四大大会とパラリンピックで優勝して「生涯ゴールデンスラム」を達成して国民栄誉賞を受賞した国枝慎吾さんについてご紹介します。

驚異的な身体能力と強靱なメンタルで世界ランキング1位を守り続けた国枝選手を支え続けた奥様との馴れそめや、スポーツ選手の年収について探っていきます。

国枝慎吾 車椅子テニスとの出会いから引退までの奇蹟

日本で車いすテニスと言えば、まず国枝選手が思い浮かびます。正直、車いすテニスをあまり知らない人でも、パラリンピックの日本選手団主将として国枝選手を知っている人も多いのではないでしょうか。華々しい活躍はスポーツニュースでも幾度となく取り上げられました。

1984年2月21日生まれ、千葉県出身。もともとスポーツ好きな少年でしたが、9歳の時に脊椎腫瘍でよる下半身麻痺のため車いすの生活がはじまります。

そこで車椅子バスケを始めようとしましたがチームが見つからず、母親の薦めで小学校6年生の時に車いすテニスを始めます。
最初はあまり気乗りしなかったものの、テニス用の車いすに乗った直後からまわりが驚くほど一気に才能が開花して本格的にテニスをやってみることに。

出典:https://www3.nhk.or.jp/

そこから快進撃が始まりますが、持って生まれた身体能力とセンスがずば抜けていたとしても、才能だけでは数々のタイトルを獲ることは出来ません。

グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計50回(シングルス28回、ダブルス22回)優勝の記録保持者。年間最終世界ランキングでは1位を10回記録している

引用元:wikipedia

そしてパラリンピックには2004年のアテネから2020年の東京まで5大会連続出場し、金メダルをシングルスで3個、ダブルスで1個獲得しています。
そして2022年にはウィンブルドン車いすテニス部門で初優勝を果たしています。

他にもかぞえ切れないほどのレガシーをもっている国枝選手ですが、アマチュアプレーヤー時には世界大会に出場するための遠征費も自己負担が厳しくてテニスを続けることを迷った時期もあったようです。これはアマチュアだった頃の国枝選手だけではなく、スポンサー契約やCM出演していない選手にとって、かなりの負担がのしかかります。

金銭面で仕方なく競技を続けられなくなる選手も多い中、国枝選手はまわりのサポートもあってテニスを続ける決意をしたそうです。

精神面で大きな変化をもたらしたのはメンタルトレーナーであるアン・クイン氏との出会いからで、「オレは最強だ!」と毎日言うようにアドバイスを受けています。
これはアスリートでなくても真似できる素晴らしい自己暗示ですね。

事実、国枝選手はそれまで世界ランキング10位前後だったのが、『オレは最強だ!』と毎日言い始めてからわずか半年でアジア人では初めて、世界ランキング1位に登りつめたのです!

2023年1月22日に引退表明したときに自身のツイッターで
『もう十分やりきった』と言えたのは諦めずにずっとテニスを続けてきたからこその言葉ですね。

国民栄誉賞はどんな人に授与される?

国民栄誉賞ときくと『大きな功績を達成した国民に授与されるんだろうな』と思っている人が多いのではないでしょうか?

実はわりとしっかり範囲が決まっているのです。

2023年3月3日、日本国政府は国枝に対して国民栄誉賞を授与することを閣議決定し、同日発表した[3][4]

引用元:wikipedia

引用元:kantei.go.jp

国民栄誉賞の前身として1966年の創設された内閣総理大臣顕彰があったのですが、受賞対象が「学術および文化の振興に貢献したもの」に限定されており、スポーツ選手の適用が難しかったため、1977年に国民栄誉賞にバージョンアップされました。

国民栄誉賞の最初の受賞者は、今もなお通算本塁打の世界記録保持者である王貞治さんでした。王さんの国籍は中華民国だったため議論もあったようですが、日本で活躍して功績を残しているので、国民栄誉賞第1号から国籍は問わないことになりました。

オリンピックや世界大会・プロスポーツは学術や文化と並んで強く印象に残ったり、感動させてくれる場面が多いので、内閣総理大臣顕彰から国民栄誉賞へと変遷したのは必然だったと言えるでしょう。

本賞は、1977年(昭和52年)8月30日に内閣総理大臣決定で制定された国民栄誉賞表彰規程に基づいており、その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」 と規定されている。 表彰の対象は、「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」 であり、かなり幅広い解釈が可能である。

引用元:wikipedeia

国枝慎吾さんの年収は?

さて現役時代の国枝選手の年収はだいたいどれぐらいだったのでしょうか?
公式発表はされていませんが、大会の獲得賞金やスポンサー収入を合わせると4,000~5,000万円と推定されています。

所属しているユニクロから、東京オリンピックの男子シングルス優勝時には1億円、全英オープン(ウィンブルドン)優勝時にも2,000万円の報奨金が贈呈されていますが、こちらはあくまでも臨時収入になります。

国枝選手が獲得した賞金の概算額を見ていきましょう。

全豪オープン 優勝 600万円 × 11回
全仏オープン 優勝 400万円 ×   8回
全英オープン 優勝 400万円 ×   1回
全米オープン 優勝 400万円 ×   8回(全米オープンは賞金非公開のため予想額です)
シングルスの優勝賞金だけを合計すると1億3400万円になります。

この他にダブルスでの優勝やオリンピックで金メダルを獲得したときの報奨金をあわせると軽く2億円以上になると予想されます。

スポンサーからの収入は年間で約2,000万円。
専属契約しているユニクロからの収入が大きいとされています。

ユニクロは2月7日、ユニクログローバルブランドアンバサダーで、プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾選手(世界ランキング1位*)の現役引退会見を、当社有明本部(東京都江東区)で開催しました。国枝選手は、集まった報道関係者約200名を前に、家族や関係者、ファンに感謝の言葉を述べた上で、「最高のテニス人生を送れたと言い切りたい」と力強くあいさつしました。同席した株式会社ユニクロ代表取締役会長兼社長の柳井 正は「少しさみしいが、今日は新しい国枝慎吾が誕生した日でもある。今後も最大限、応援していく。若い人のロールモデルとしてのこれからの国枝さんに期待しています」とエールを贈りました。
*2023年1月22日時点 男子シングルスランキング

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出典:https://www.uniqlo.com/

サラリーマンで考えると年収が4,000~5,000万円ともなれば相当高額に思いますが、ソロで活躍しているスポーツ選手の場合、経費はすべて自己負担になります。

国枝選手の場合は世界大会出場のための『チーム国枝』の遠征費や車椅子のメンテナンス費用、コーチやスポーツトレーナーへの俸給をあわせると、支出額はかなり大きくなるでしょう。

国枝選手の年収を調べていて驚いたのは、大会で支払われる賞金が健常者と障害者であまりにも違うというところでした。
全豪オープンの優勝賞金を例にしてみると、健常者の約3億円に対し、障害者は600万円。
あまりにも差が大きいのが現状です。
今後、障害者がスポーツで成績を出すための努力がもっと見直されることを期待します。

国枝選手を支えた奥様はどんな人?

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国枝慎吾さんは2011年に結婚しています。
奥様は大学時代に同じテニスサークルで知り合った同級生の国枝愛さん。

知り合った当時から国枝慎吾さんは車いすテニスのプロ選手として活動していましたが、普段はテニスの話はほとんどしないので愛さんはどれほど躍している選手なのかは知らなかったそうです。

結婚を機に「アスリートフードマイスター」を取得して、夫の健康とパフォーマンス向上のために最適な食事を作り続けてきました。

2016年からはコーチやトレーナーと一緒にツアーに帯同するなど「チーム国枝」として国枝選手を常にそばでサポートしています。

試合中は孤独だし、ちょっとしたことで自信なくなったり、弱気になることもある。そういう時にチームが目で力を送ってくれるのは、すごく勇気もらって。いくぞっていう気持ちになれるのは、チームのコーチ、トレーナー、マネジャー、妻とボックスにいますけど、まず妻を見るくらい」
引用元:https://www.sponichi.co.jp/

愛さんがそばにいてくれることが、国枝選手の大きな力になっていたことがよくわかるエピソードです。

国枝選手は2016年に受けた右ひじの手術後、痛みが消えないまま望んだリオデジャネイロ・オリンピックに出場して銅メダルを獲得しますが、その後約4カ月休養することになります。

休養開けの練習でも痛みは消えていなかったことを『もう引退しなきゃいけないかも知れない』と告げられたことが、いつも近くでサポートするキッカケになったそうです。

その後、国枝選手は2018年の全豪オープン優勝で復活を果たします。その裏には愛さんのサポートがありました。

「日々を健康的に過ごして、練習の質が良くなれば、それが勝利につながる。36歳で迎えるはずだった東京大会を目指す、と聞いた時は驚いたけど、今は納得するところまで競技を続けて欲しいと思っています」

引用元:https://www.asahi.com/

東京オリンピックがコロナ禍で1年延期になり、照準を合わせ直すのは大変なことだったはずですが、夫婦二人三脚で見事に金メダルを獲得しました。

国枝選手の引退について愛さんのコメント

「世界一のアスリートを妻として一番近くで支えることができて本当に幸せでした!普通の人は見られない景色をたくさん見せてくれてありがとう!我がサポートに一片の悔いなし!!!引退おめでとう」と、ねぎらいの言葉をつづりました。 また「今日から始まる新しい生活がとにかく楽しみです。これから二人で色んなことに挑戦していこうね」と、今後の楽しみについてもつづりました。

引用元:https://news.yahoo.co.jp/

【まとめ】

車いすテニスの世界を身近に感じさせてくれた国枝慎吾選手。
ご自身も奥様も本当に『やりきった』と心から感じておられるのではないでしょうか。

車いすテニスを目指している人に大きな刺激を与え続けた存在でした。

今後は指導者になると予想されますが、奥様のコメントにあるように、これから二人でワクワクしながら色んなことに挑戦していってもらいたいですね。

 

いかがでしたでしょうか?
今回も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

それではまた!
とりたろう。

 

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